天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~
第10章 第四話〝空華(くうげ)〟・すれ違い
その夜のことである。
その少し前の夕刻、表の方から今宵は殿のお渡りありとの知らせが奥向きに入っていた。嘉亨はほぼ毎日のように奥向きに渡り、新妻と褥を共にする。その日も知らせたを受けた琴路はいつものことと正室である八重に事の次第を言上したのだが、聞くなり、八重の顔がさっと曇ったのを琴路は見逃さなかった。
この琴路はかつては飛鳥井が眼をかけていた者で、今は老女の一人として飛鳥井の下でその片腕として手腕をふるっている。そろそろ五十近い飛鳥井よりはひと回り若く、十五のときに木檜家家臣の娘としてご奉公に上がった。機転がきき、陰陽なたないその人柄を飛鳥井に見出され、取り立てられたのである。現在は上屋敷の奥向きを実質的に取り仕切りるのが琴路で、それを飛鳥井が後ろで監督している。
つまり、琴路は奥向きでは、飛鳥井に次ぐ地位にあるといって良かった。その琴路、奥方の御気色優れぬを見て、すぐに内々に飛鳥井に知らせた。
懐刀と頼みにする琴路の報告であれば、まず間違いはない。飛鳥井は自室で脇息に寄りかかり、気に入りの銀煙管で煙草をくゆらしながら、一人、思案に耽った。
「はてさても、面倒なことになったものよの」
昨年秋に祝言を挙げて以来、幸いにも殿は若い奥方がお気に召し、奥泊まりを重ねていられる。当初、二人の結婚には、反対する者が多かった。身分違いやただ一人の嫡男の喪がいまだ明けておらぬことを理由に異を唱える重臣たちがいたにも拘わらず、嘉亨は断固として意思を曲げなかった。
その少し前の夕刻、表の方から今宵は殿のお渡りありとの知らせが奥向きに入っていた。嘉亨はほぼ毎日のように奥向きに渡り、新妻と褥を共にする。その日も知らせたを受けた琴路はいつものことと正室である八重に事の次第を言上したのだが、聞くなり、八重の顔がさっと曇ったのを琴路は見逃さなかった。
この琴路はかつては飛鳥井が眼をかけていた者で、今は老女の一人として飛鳥井の下でその片腕として手腕をふるっている。そろそろ五十近い飛鳥井よりはひと回り若く、十五のときに木檜家家臣の娘としてご奉公に上がった。機転がきき、陰陽なたないその人柄を飛鳥井に見出され、取り立てられたのである。現在は上屋敷の奥向きを実質的に取り仕切りるのが琴路で、それを飛鳥井が後ろで監督している。
つまり、琴路は奥向きでは、飛鳥井に次ぐ地位にあるといって良かった。その琴路、奥方の御気色優れぬを見て、すぐに内々に飛鳥井に知らせた。
懐刀と頼みにする琴路の報告であれば、まず間違いはない。飛鳥井は自室で脇息に寄りかかり、気に入りの銀煙管で煙草をくゆらしながら、一人、思案に耽った。
「はてさても、面倒なことになったものよの」
昨年秋に祝言を挙げて以来、幸いにも殿は若い奥方がお気に召し、奥泊まりを重ねていられる。当初、二人の結婚には、反対する者が多かった。身分違いやただ一人の嫡男の喪がいまだ明けておらぬことを理由に異を唱える重臣たちがいたにも拘わらず、嘉亨は断固として意思を曲げなかった。