テキストサイズ

天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第10章 第四話〝空華(くうげ)〟・すれ違い

 物心つく前から、およそ家臣にも逆らわず、己れの意思を貫き通すことなど一切なかった嘉亨である。それが生涯初めての自己主張であった。それほどにご執心あそばされお迎えになった奥方であれば、夜毎、お褥を共になさるのも当然ではあろう。
 飛鳥井にしてみれば、この上はご夫婦仲がおん睦まじければ御子が授かるのも時間の問題とさして急いではいない。しかしながら、他の者たちは、飛鳥井のように時を待てば良いと安気に構えていられないらしい。殊に奥方の後見となるべき江戸家老酒井主膳などは八重の顔を見れば、殿のお胤を宿す話をしているらしい―と、これは奥方付きの琴路から報告を受けている。
 何しろ、まだ祝言を挙げて三月である。いささか下品やもしれぬが、犬や猫でもあるまいに、褥を共にしたからとて、すぐにすぐ身ごもれとせっつかれても、土台無理な話だろう。
―ご家老もそこのところの女心がお判りにはならぬと見ゆる。
 お家のためを思い、一日早い若君ご出生をと逸る心は判らぬでもないが、本来であれば、最も奥方の心内を思いやり、力になるべき人物があの様では、いささかどころか、大いに心許ない。やはり、女心を理解するのは、あのむくつけきご家老では無理というものだろうか。
 飛鳥井はほろ苦く微笑した。
 そんな想いに耽っていると、いやが上にも我が身の来し方を思い出してしまう。飛鳥井もまた木檜氏に代々仕えてきた重臣の家に生まれ、同じ重臣の家に嫁した。親同士が決めた結婚ではあったが、数歳上の良人との仲は睦まじかった。が、十四で嫁してから参年間というもの、飛鳥井には懐妊の兆しがなく、周囲はやきもきし、姑などは年若い嫁を実家帰せと良人に言ったこともあったという。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ