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天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第11章 秘密

 隣の部屋にはまだ琴路がいる。もし騒げば、すぐに琴路が襖を開けて、こちらに来るはずだ。今夜はもう、あの勿体ぶった物言いに付き合う気力はなかった。
 その間にも吐き気は次第に烈しくなってゆく。八重は口許を手のひらで覆ったまま、這うようにして夜具に戻った。掛けふすまを頭からすっぽりと被り、隣の部屋の琴路にはけして聞かれまいと烈しい嘔吐感を堪えた。
 一体、どうしたというのか。そういえば、ここのところ数日、朝めざめたときも身体がだるくて、熱っぽいような気がしていたけれど、風邪でも引いてしまったのだろうか。
 風邪の引き始めならば、十分な睡眠と栄養を取ることで大事に至らずに済む。八重は無理にでも眠ろうと努力してみる。昼下がりに見た光景が胸に突き刺さったまま、しばらく気持ちが高ぶって眠ることができないでいたが、いつしか浅い眠りに落ちていたらしい。
 目ざめたときは、いかほど経っていたのか。随分眠ったようにも思えるし、実際はたいした刻は経っていないようにも思えた。
 流石に隣の部屋からは人の気配は絶えている。奥方として与えられているのは三間続きの広壮な座敷で、廊下側がお付きの侍女の控えの間、更に八重の居室、最奥が寝所となっている。大方、今は琴路の代わりに、若い奥女中が控えの間に待機していることだろう。
 琴路のように老女ともなり、高位の奥女中ともなれば、自分専用の部屋を賜っている。幾ら奥方付きとはいえ、老女である琴路が夜の宿直番を務めることはまずない。
 八重の寝間は庭に面している。そっと布団から出ると、八重は部屋を横切り、縁に面した障子戸を開けた。控えの間の侍女に気付かれぬよう、気配を殺すと縁側に立った。そのまま沓脱石に置いてある草履を突っかけ、庭に降りる。

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