天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~
第11章 秘密
木檜藩の人々がどれほど世継の誕生を待ち侘びているかを知らぬわけではない。また、けして口には出さないけれど、良人嘉亨もまた八重の懐妊を愉しみにしていることも気付いていないわけではないのだ。だが、優しい嘉亨は、それを口にすれば、八重の心の負担になるのではないかと危惧し、敢えて己れの想いを口にしない。嘉亨とは、そういう男なのだ。
だが、今の八重には到底、素直に皆の期待に応えられることはできそうにもなかった。
今日の昼下がり、芙蓉の間で眼にしたあの光景が今も鮮烈に瞼に甦る。床の間に掛けられた掛け軸の中で微笑む一人の艶やかな女人。
―母上は芙蓉の花がお好きだったんだ。
かつてありし日の清冶郞から聞いたあの話もまた今更ながら記憶に甦り、八重を苦しめる。
嘉亨の前(さき)の奥方尚姫は殊の外、芙蓉の花を愛したという。掛け軸の中、尚姫は芙蓉の花に囲まれて微笑んでいた。身に纏った打掛にもまた芙蓉の花がちりばめられていた。
あの表情は、到底、不幸な女性のものではなかった。むしろ、幸せそうに母として、妻として幸せそうに輝いて見えたのは、八重の思い過ごしだろうか、考えすぎだろうか。
尚姫と嘉亨の夫婦仲は端から思わしいものではなかったと聞いてきた。結婚三年目に清冶郞を儲けてからも夫妻の間は冷たく、ついに結婚生活は六年で終わりを迎えた。尚姫は実家水野家に戻り、悠々自適の日々を送っていたかと思えば、昨年は京の権中納言藤原兼道の許に再嫁している。しかも、その尚姫の二度目の良人なった兼道はかつて尚姫と恋仲にあったという男であった。
だが、あの掛け軸に描かれている尚姫は、そんな夫婦の不仲など微塵も感じさせない。それどころか、幸福そうな女として満ち足りた雰囲気が伝わってきた。
だが、今の八重には到底、素直に皆の期待に応えられることはできそうにもなかった。
今日の昼下がり、芙蓉の間で眼にしたあの光景が今も鮮烈に瞼に甦る。床の間に掛けられた掛け軸の中で微笑む一人の艶やかな女人。
―母上は芙蓉の花がお好きだったんだ。
かつてありし日の清冶郞から聞いたあの話もまた今更ながら記憶に甦り、八重を苦しめる。
嘉亨の前(さき)の奥方尚姫は殊の外、芙蓉の花を愛したという。掛け軸の中、尚姫は芙蓉の花に囲まれて微笑んでいた。身に纏った打掛にもまた芙蓉の花がちりばめられていた。
あの表情は、到底、不幸な女性のものではなかった。むしろ、幸せそうに母として、妻として幸せそうに輝いて見えたのは、八重の思い過ごしだろうか、考えすぎだろうか。
尚姫と嘉亨の夫婦仲は端から思わしいものではなかったと聞いてきた。結婚三年目に清冶郞を儲けてからも夫妻の間は冷たく、ついに結婚生活は六年で終わりを迎えた。尚姫は実家水野家に戻り、悠々自適の日々を送っていたかと思えば、昨年は京の権中納言藤原兼道の許に再嫁している。しかも、その尚姫の二度目の良人なった兼道はかつて尚姫と恋仲にあったという男であった。
だが、あの掛け軸に描かれている尚姫は、そんな夫婦の不仲など微塵も感じさせない。それどころか、幸福そうな女として満ち足りた雰囲気が伝わってきた。