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天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第11章 秘密

 あれは一体、どういうことだろう。とうに離別した前妻の肖像画を後生大切に今でも飾り、しかも、その部屋には誰の立ち入りも許さない。あの芙蓉の間にただ一人、立ち入ることのできるのは当主嘉亨のみであった。現に、あの開かずの間に殿が時折出入りされているらしい―と、いうのは専らの噂だ。
 嘉亨はいまだに別れた尚姫を想い、ああやって掛け軸の中の妻と語らっているのだろうか。自分以外は誰の立ち入りも許さず、すべてをも排除して、意中の女性と二人きりの時間を過ごしているのだろうか。
 そして、嘉亨が排除したものの中には、他ならぬこの我が身―八重も入っているのだ!
 そう思った瞬間、八重の中に途方もない哀しみとやるせなさが湧き上がった。
 嘉亨が尚姫をいまだ忘れ得ぬのではないかという不安は、実はずっと以前からあった。何より嘉亨が尚姫のことを語るときの口調には、ほろ苦さと共に昔を懐かしむような響きがこめられている。それは、ある種の切なさをも含んでいるような気がして。
 八重は、その懸念をこれまでずっと抱えてきたのだ。時折、思い切って良人に問いただしてみたい衝動に駆られたものの、到底勇気はなかった。もし万が一、訊ねてみて、〝そうだ〟と肯定されれば、もう行き場がなくなってしまう。訊ねなければ、真実を知ることもない。知らなければ、疑いだけで済む。
 しかし、仮に良人が他の女人の面影をいまだに抱いているとはっきりと判れば、一緒にはいられない。たとえ嘉亨が尚姫をいまだに愛していても、嘉亨の側に居られれば十分―と言い切れるほど八重は寛容でも大人でもない。真実を知ってしまえば、別離を覚悟せざるを得ないだろう。そして、今の八重には、それだけの覚悟はない。

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