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天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第11章 秘密

 その翌朝。八重の許を嘉亨が訪れた。当主が毎朝、奥向きに渡るのは通例ではある。仏間拝礼といって、歴代藩主の位牌が安置してある部屋で祖先の御霊に黙祷を捧げる朝の儀式である。江戸城の大奥などでは、その際、奥女中一同が総出で将軍をお迎えし、それを〝総触れ〟と呼ぶが、もちろん、小藩の上屋敷ではそのような大仰なことはしない。
 正室である八重、それに総取締の春日井とそれに付き従うわずかな者たちが嘉亨をお迎えするだけである。大抵、仏間拝礼を終えると、嘉亨は慌ただしく表に戻るのが習いであった。元々、奥向きには殆ど来ることのない殿なのだ。これでも八重を娶ってからは、愛妻の顔を見るために奥に渡る回数が増えたと、これは口さがない奥女中たちの専らの評判であった。
 それでも、陽の明るい中に奥向きに嘉亨のお渡りがあることは滅多とない。中には、
―殿が奥向きにおいでになるのは、夜、奥方さまとお褥を共になさるときだけではございますね。
 などと、実に意味深というか厭味たっぷりなことを平然と口にする奥女中もいるとか。彼女らの大半はついこの間まで朋輩どころか、新参者の小娘―しかも町方育ちの身分賤しき者と侮っていた八重が突如として殿に見初められ、一躍正室の座に上りつめたことについて、妬みを抱いている。
 八重が正室ではなく、例えば側室としてお側に召されたのであれば、彼女たちの鬱憤や嫉妬もここまでではなかったろうが、いかにせん、嘉亨は八重を側妾としてではなく、正式な妻として迎えたのだ。木檜藩の奥向きは美女揃いとしても知られている。家柄も重臣の娘たちが多かった。

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