テキストサイズ

天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第12章 真実

 が、とにもかくにも、尚姫が木檜家に入輿したときには、既に兼道は京の都に戻っており、二人の縁は完全に絶たれていたかに思えた。兼道の生母は尚姫の母とは姉妹であり、従って二人は従兄妹同士に当たる。幼い頃から、尚姫はこの年上の従兄を兄のように慕い、兼道も一年に一度は母に連れられ江戸に下向した折には、聡明で美しい尚姫を可愛がっていたという。
 その関係がいつから恋に変わり、更には男女の仲にまでなっていったのかは判らない。しかし、淡い思慕がやがて烈しく燃え上がる焔になるのは自然なことだろう。
 だが、尚姫が嘉亨に嫁したことで、この関係も潰えた。そして、若い嘉亨は、この美貌の姫(妻)にひとめ惚れ、すぐに夢中になった。今は思慮深い印象を与える嘉亨だが、当時は、まだ十八歳の若者にすぎなかった。
 嘉亨は静かに語りながら、自嘲するかのように笑った。
「だが、世の中は思いどおりにはゆかぬものよ。その頃から、既にお尚の心には別の男が棲んでいた。妻に好かれようとすればするほど、心が離れてゆく」
 ある日のこと、嘉亨は妻の許を訪れようと奥向きに渡った。その時、居間の襖に手を掛けた嘉亨の耳に今なお忘れがたい、信じがたい科白が飛び込んできた。
―ほんに、姫さまの仰せのとおりにございますわ。このように申し上げては失礼ながら、このお歌のあまりにも下手なことったら。
 忘れもせぬ、あれは尚姫の乳人の声だった。水野家十万石の威光を乳母までが傘に着て、嘉亨ばかりか、この木檜氏を侮っていた。
 その数日前、嘉亨は蒔絵の櫛に歌を添えて、尚姫に贈っていた。だが、妻からは何の返事もなく、嘉亨は内心、落胆していたのだ

ストーリーメニュー

TOPTOPへ