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天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第3章 雨の日の出来事

 その日は生憎と朝から雨が降っていた。既に清冶郞が寝込んでから、七日めになっている。
 小雨になったときを見計らってそっと屋敷を抜け出してきたのだが、社の前に来た頃から急に雨脚が強くなった。清冶郞は別の奥女中に任せてきたので、そちらは心配はない。
 折角詣でたのだから、しっかりとお願いしておきたいと思い、傘を脇に置いた。濡れるのも厭わずその場にしゃがみ込むと、両手を合わせた。
―どうか、若君さまのお熱が一日も早く下がりますように。若君さまがこれより後もお健やかにお身大きくおなりあそばされますように。
 心を込めて一心に祈る。
 社そのものは、本当にこじんまりとしている。奥庭の一隅のこの辺りは、昼間でもひっそりと静まり返っている。蓮池のある更に先の奥まった一角だ。
 刻が経つのも忘れて祈っている中に、雨に打たれ、八重の髪も着物もしっとりと濡れてきた。
「随分熱心に祈っておるようだが、そろそろ戻らぬと風邪を引くぞ?」
 抑揚のある深い声に、八重はハッと我に返った。
 弾かれたように顔を上げると、あの漆黒の優しげな瞳が八重を見下ろしていた。
 ス、と、上から傘が差し掛けられる。
「と、殿」
 八重は狼狽えて立ち上がった。
「どうした、そのように愕かずとも良かろう」
 嘉亨は笑いながら、懐に手を入れた。
 差し出されたのは一枚の手ぬぐいであった。
「清冶郞のために、祈っておったのか?」
 若君が病臥してから、嘉亨は息子を何度も見舞っている。しかし、大抵は春日井も一緒なので、嘉亨がお付きの八重に直接声をかけることはなかった。

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