天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~
第1章 第一話〝招き猫〟―旅立ち―
世間さまは物事の表しか見てはくれない。そのくせ、まるでその出来事のすべてを知っているかのようなしたり顔で、あれこれと言いたい放題のことを言う。確かに父のしたことは商家の主人としては、あまりにも自覚がなさすぎるが、少なくとも父は弐兵衛夫婦のように吝嗇でもなかったし、弥栄の存在を欲得づくで見るようなことはなかった。
紙絃は江戸でも指折りの大店であるにも拘わらず、父は奉公人にも労りの言葉を忘れなかった。食事も常に奉公人たちと同じ物を食べていた。
弥栄にも優しい父だったのだ。しかし、やり手といわれた先代、つまり弥栄の祖父に比べて、やはり父は坊ちゃん育ちで商いには向いていなかったのだろう。商売熱心ではあったが、どちらかといえば、趣味で作っている俳句の会や茶会に出かける方が性にあっていたようだ。穏やかな人柄は生き馬の目を抜く商人の世界には向かなかったのだろうか。
人の世とは、つくづく摩訶不思議なものだと思う。女遊びや遊廓とは無縁だとずっと信じてきた父がよもや、世間を賑わす太夫との心中事件を起こすなぞと一体、誰が信じただろう。
もっとも、父が雪月楼に登楼していたのは、奉公人たちの間では周知の事実であり、結構噂になっていたようだ。太夫の白妙との熱烈な恋の噂さえ、結局は弥栄一人が知らなかったといえる。
父が亡くなった時、弥栄はまだ十四だった。そのような色事―しかも自分の父親のあれこれを知らなかったとしても不思議はない。要するに、その頃の弥栄は生まれながらの世間知らずのお嬢さまであった。
紙絃は江戸でも指折りの大店であるにも拘わらず、父は奉公人にも労りの言葉を忘れなかった。食事も常に奉公人たちと同じ物を食べていた。
弥栄にも優しい父だったのだ。しかし、やり手といわれた先代、つまり弥栄の祖父に比べて、やはり父は坊ちゃん育ちで商いには向いていなかったのだろう。商売熱心ではあったが、どちらかといえば、趣味で作っている俳句の会や茶会に出かける方が性にあっていたようだ。穏やかな人柄は生き馬の目を抜く商人の世界には向かなかったのだろうか。
人の世とは、つくづく摩訶不思議なものだと思う。女遊びや遊廓とは無縁だとずっと信じてきた父がよもや、世間を賑わす太夫との心中事件を起こすなぞと一体、誰が信じただろう。
もっとも、父が雪月楼に登楼していたのは、奉公人たちの間では周知の事実であり、結構噂になっていたようだ。太夫の白妙との熱烈な恋の噂さえ、結局は弥栄一人が知らなかったといえる。
父が亡くなった時、弥栄はまだ十四だった。そのような色事―しかも自分の父親のあれこれを知らなかったとしても不思議はない。要するに、その頃の弥栄は生まれながらの世間知らずのお嬢さまであった。