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天空(そら)に咲く花~あのひとに届くまで~

第5章 母子草

 母子草

 八重が危惧していたとおり、その後、屋敷に戻った二人を老女の春日井が待ち受けていた。春日井は木檜藩邸の奥向き取り締まる侍女頭である。年は四十七、若い砌は藩主嘉亨の乳母を務めていたということもあって、発言権は絶大であり、嘉亨も頭が上がらないほどであった。
 この春日井、見た目は謹厳で冗談も通じない固い人間のように見えるが、意外と見かけよりは道理の判る女性なのだ。誤解されやすいという点では、八重と同類かもしれない。
 八重と清冶郞はさんざん泣き言を聞かされた挙げ句、更に八重は別室で一人、延々と説教・訓戒を聞く羽目になった。
―今後、このような不祥事がまた起これば、そなたには残念ながら、暇を出さねばなりませぬ。
 流石に、そのひと言は八重を打ちのめした。
 清冶郞と離れることは、考えただけでも身を切られるように辛い。それに―、暇を出されたら、もう二度と嘉亨には逢えない。今も数日に一度、清冶郞の顔を見にくる嘉亨とは殆ど言葉を交わすことすらないけれど、それでも、ここにいれば、嘉亨の顔を見られる。
 好きな男の傍にいられるだけで、八重は十分幸せなのだ。
 消沈して戻ってきた八重を、清冶郞が案じ顔で迎えた。
「八重、済まぬ。また私の我が儘で、八重が叱られてしまった」
 六月にも似たようなことがあった。庭の蓮池を見たいという清冶郞を八重が勝手に部屋から連れ出したのである。もっとも、そのときは同じ屋敷内での出来事であり、今回とは事情が違う。寛容な春日井も、八重が若君を連れ出したのが屋敷内ならともかく、屋敷の外―市井であることを重く見ているらしかった。

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