テキストサイズ

月下にひらく華~切なさの向こう側~第6話【漢陽の春】

第4章 夜の蝶

 香花が少し頬を上気させ、長すぎる接吻で黒い瞳を潤ませていた。黒曜石のような煌めきを宿す瞳がいっそう艶めいている。ふっくらとした唇は口づけのせいで、熟れた果実のように色づき、腫れていた。
 紅色に染まった愛らしい唇は口づけを誘うようだ。
 一旦は引っ込められた明善の手が再びそろりと伸びてくる。大きな手が薄紅色のチョゴリの紐にかかり、紐は呆気ないほどするすると解けた。
「―香花」
 切なげな吐息が髪にかかり、身体の芯から震えが漣のように起こった。
 また、あの得体の知れない感覚だ。これまでも何度か明善に触れられた時、胸の鼓動が異常に速くなり、こんな風に妖しい震えが身体中を駆け抜けた。
 いや、それだけではない。あのいけ好かないけれど、どこか憎めない男光王に町の市場で手を掴まれたときも、確かにこれと似た感覚を憶えたような気がする。
―私ったら、何故、明善さまと一緒のときに、あんな奴のことを思い出してしまうの?
 香花は突如として眼裏に浮かんだ光王の面影を慌てて追い払った。
 その未知の感覚は、まるで、もう少しで手が届く場所に、どうしても手が届かないようなもどかしさ―、そんな感じだろうか。
 そのもどかしさに何もかも忘れて溺れてしまいたいような気持ちもあり、裏腹に、もどかしさの奥底にあるものを見極めるのが怖いという相反した気持ちがあった。
 もし、底を覗いてしまったら、自分が今までの自分ではなくなるのではないか。そんな予感めいた恐怖が香花にはあったのだ。
 じんと、頭が痺れる。その痺れが今しも香花の身体すべてを支配し、呑み込まれそうになったその時。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ