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月下にひらく華~切なさの向こう側~第6話【漢陽の春】

第5章 永遠の別離

「香花、落ち着いて聞いてくれ。明善の処刑は予定どおり行われた。一時は生命を危ぶまれたが、苛酷な拷問にも最後まで耐え抜き、従容として死に臨んだそうだ」
「―!」
 香花の身体から、すべての力が抜けた。
 くずおれるか細い身体を抱き止め、光王が言い聞かせる。
「明善は最後まで何かを握りしめていたそうだ。普通、首を刎ねられる寸前には、何も手に持つことは許されないが、明善が立ち会いの役人に自ら頼んだそうだ」
―これを持って死出の旅に出ることをお許し願いたい。
 役人が検分したところ、明善が差し出したのは、紫陽花を刺繍した一枚の布であった。
 明善の表情に何か感じるものがあったのか、その役人が情理を備えた人物であったのか、明善はそれを手に持つことを許され、死刑執行人の刃が振り下ろされる瞬間も手にしっかりと握りしめていたのだという。そして―、首が胴体から切り落とされた後も、彼はその手に刺繍を握っていた。
 明善の亡骸は張家の者が引き取りにきて、荼毘に付された後、知り合いの寺で手厚く葬られた。その際、明善の手から刺繍を取り上げようとしても、五本の指は固く閉じられたままで、けして開くことはできなかった。皆は諦め、明善が死してなお、これを手放したくなかったのだと言い合い、そのまま葬った―。
 光王から明善の最期を聞き、香花は涙が止まらなかった。
「あんな風に死んで良い人ではなかったのに! どうして、どうして明善さまが」
 香花はチョゴリの袖からロザリオを取り出した。この国では禁忌とされている異国の教えを象徴するクルスである。

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