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月下にひらく華~切なさの向こう側~第6話【漢陽の春】

第6章 第2話【燕の歌~Swallow song】・新しい町

 けれど、香花が何より願うのは、光王の無事なのだ。もし仮に光王がジャンインの忠告を無視して動いて、あの油断ならない男が光王の〝敵〟となってしまったら―。考えただけで、不安でたまらなくなる。
 ジャンインが何者なのかは判らないけれど、光王の〝敵〟となるからには、光王にろくな結果が待っているとは思えない。
 捕らえられ、拷問にかけられている光王、今にも振り下ろされようとしている首切り役人の刃の下に端座している光王の姿があたかも現実のごとく眼裏に浮かび上がってくる。
 想像しただけで、涙が滲んでくる。
 もう二度と、大切なひとを失いたくない。
 明善が処刑されたと光王から聞かされたときの、あの果てのない絶望と堪えがたい哀しみがひたひたと押し寄せる。
 どうか、光王。無茶はしないで。あの男の言葉を今度だけはちゃんと守って。
 香花は祈るような想いで、光王の広い背中を見つめていた。
 
 同じ日の夜。
 町の外れに居を構える使道全正史の屋敷の奥まった一室では、この屋敷の主人正史と一人の客が対峙していた。
「それにしても、旦那(ナーリー)さま、町中では民たちが寄ると触ると、監察御使の話をしております」
 先に口を開いたのは、小柄でやや太った商人風の男である。年の頃はそろそろ五十に差しかかったくらいで、薄くなってきた髪の毛を精一杯引っ詰めて髷を結っている様は貧相というよりは哀れにも滑稽にも見える。
「噂によれば、監察御使は既に町に入ったとも囁かれておるが」
 上座の座卓にふんぞり返るのが全正史、いわゆる中央から派遣されてきた地方役人である。

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