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月下にひらく華~切なさの向こう側~第6話【漢陽の春】

第6章 第2話【燕の歌~Swallow song】・新しい町

 その質問に、正史は、わざとらしい咳払いをした。
「うむ、むろん儂も信頼できる者から定期的に情報を得てはいるが、いかにせん漢陽は遠いでな。中央での出来事がここに伝わるのにも半月を要する。したが、ここ一年ほどの間、監察御使がひそかに都を出たという知らせはないぞ」
 この町は多少大きいとはいえ、所詮地方都市にすぎない。府使とはいえ、都からはるかに離れた僻地に飛ばされた正史は最早、中央との拘わりはないに等しい。いわば、左遷されて、この地に来たのだ。
 彼の言葉どおり、確かに信頼できる知人を通じて都の情報は逐一届く手筈にはなっているものの、都での出来事の概要が型どおりに記されているだけで、正直言えば、たいした手がかりにはならない。大枚をはたいて頼んでいるのが時折、阿呆らしくなるほどだ。
 が、目下のところ、監察御使が都を発った―という情報はその中には見当たらなかった。
 もっとも、監察御使は、その名のとおり、任務はあくまでも内密のもので、任務の内容も誰が任命されるのかも実のところ、公表はされない。
 王命を受けた領議政、左議政、右議政といった議政府の大臣たちが隠密裡に人選を行い、その任命される当人だけに伝えるのだ。大抵は科挙に合格したばかりの二十代から三十代初の若者、しかも堂下官(王に拝謁を許されない身分)から選ばれる。
 何故、官位の低い若者が選ばれるかについては、官僚生活が短ければ、官僚社会の悪にも染まっておらず、清新の気風に富み、不正を正す心を持っているからだ。ゆえに、この監察御使の任務を無事やり遂げた者は都に帰還した後、出世コースに乗ったも同然だ。通常であれば十年かかる大臣までの道を、わずか数年で駆け上るとさえいわれている。

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