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月下にひらく華~切なさの向こう側~第6話【漢陽の春】

第7章 春の宵

「俺の財布はどうなるんだよ、ひと月分の給料が入ってるのに」
 まだ喚き散らす男を宥めつつ、役人は這々の体で男を連れて逃げるように去ってゆく。それまで香花の裸を見られるかと思って期待に眼をぎらつかせていた男たちも三々五々、散っていった。
 後に残された香花は改めて深々と頭を下げる。
「本当に何とお礼を申し上げたら良いのか判りません。何度もお助け頂いてしまいました」
 香花が心からの礼を述べると、若者は少し頬を上気させた。
「いいえ、たいしたことではありませんよ。それよりも、やはり、あなたは両班の息女などでしょう? 初めて、あなたを見たときから感じていましたが、やはり、ただの町娘ではありませんね。町娘なら、たとえ衆目に裸を晒すことになっても、泣きはしますが、死までは選ばないでしょうから」
 誇り高く躾け、育てられた両班の娘だけが取る行動であると、若者は見抜いているのだ。
 若者は香花に近づくと、耳許に口を寄せた。
「帰ったら、あなたの懐を見てご覧なさい。あの男の申すとおり、確かに擦られた財布が入っているはずです」
「―え」
 香花の大きな眼が愕きに見開かれる。
「実は、財布を擦った男―あなたにぶつかって逃げていった男があなたの懐に咄嗟に財布を忍び込ませるのを私は見たのです」
「では」
 香花は慌てて自分の懐をチョゴリの上から押さえた。確かに何か入っている感触があった。すぐにでも取り出そうとする香花に、若者は眼顔で首を振った。

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