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月下にひらく華~切なさの向こう側~第6話【漢陽の春】

第7章 春の宵

「待て、彼女は厭がっているではないか」
 茫然と立ち尽くしていた若者が我に返り、追い縋ってくる。
 光王は掬い上げるような眼で若者を睨みつけた。
「生憎と妹に悪い虫がつかないようにするのが兄貴の役目でね」
「光王! 止めて」
 香花が止める間もなく、光王は道端に止めてあった荷馬車にやや乱暴な仕種で彼女を放り投げた。荷台には干し草が山のようにうずたかく積み上げてあり、乱暴に扱われた割には、衝撃は少ない。
 光王はまだ何か叫んでいる若者には眼もくれず、馬に鞭をくれ、馬車を全速力で走らせ始めた。
 荷馬車はどうやら、光王がその場に居合わせた知り合いから急遽、借り受けてきたものらしい。荷馬車に揺られている間も、家に戻ってきてからも、香花は光王とろくに口をきこうとしなかった。
 その日は、光王ももう商売はやる気はないらしく、午後もずっと家にいた。―というよりは、また香花が一人で抜け出さないか、見張るつもりだったのだろう。
 香花は小部屋で寝っ転がっていた。普段から、こっちが香花の部屋になっているのだ。
 陽が落ちて灯りを点す頃になって、光王が燭台を掲げて室に入ってきた。
「あれほど言い聞かせてあったのに、何で町に行った? 欲しいものがあれば、俺が買ってきてやるし、どうしても行きたいのなら、俺がついて行くと言っただろうが」
「―どうしてなの」
 背を向けたまま、香花は呟いた。
 光王は何も応えない。

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