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月下にひらく華~切なさの向こう側~第6話【漢陽の春】

第7章 春の宵

「それは所詮、両班の考え方だろう。俺に言わせりゃ、向こうを信頼してるから自分もまた信頼されるなんて、そんなのは甘っちょろい考え方にしかすぎないぜ。両班という身分に守られ、のうのうと育った甘ちゃんの考え方さ。他人を蹴落とさなければ、その日の食べ物すら口にはできなかった俺には理解できないね」
「光王、あなたは都の人たちから〝義賊光王〟と呼ばれていたわ。皆、あなたのことをまるで救いの神のように話してた。歳を取った人の中には、あなたの名前を聞いただけで、まるで仏さまを拝むようにありがたがって涙を流した人までいるのよ。あなたは、それほどまでに多くの人から慕われ、敬われていたの。なのに、そのあなたがそんなことを平気で言うの? 他人を蹴落としてまで、その日の食べ物を口にしてたって」
 迸るように次々と言葉が溢れてくる。
 香花を感情の読めない瞳で見つめ、光王は冷えた声で言った。
「むろん、今は、そこまでやろうとは思っちゃいない。だが、俺がガキの頃、仲間とそうやって競争してまで食い物を手に入れてたのは紛れもない事実だ。お前に何が判る? 俺の母親は妓生(キーセン)だったんだぞ。両班だった父親に良いように弄ばれ、俺を身ごもったことがバレたら、すぐに棄てられた。俺が四つのときに亡くなるまで、母は苦労のし通しだった。今じゃ、お袋の顔すら朧になっちまったが、本当に、子ども心にも気の毒になるほど辛い想いばかりしてたよ。六つで妓楼を飛び出した俺はずっと路上で浮浪児みたいに生活してたんだ。掏摸、掻っ払い、生きてくためには何でもやったさ。食い扶持が少ないときは、誰かが我慢しなければならない、そんなときは、同じ浮浪児同士で争って手に入れたんだ」
 まるで他人事のように淡々と語る光王が、かえって痛々しい。

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