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月下にひらく華~切なさの向こう側~第6話【漢陽の春】

第7章 春の宵

 月だけが見ている夜。
 梅の精かと思う可憐な少女は、若者の腕の中に飛び込む。
 香花は若者の腕の中で泣いた。何故、初対面も同然の見も知らぬ男の腕の中で泣いてしまったのかは判らない。
 ただ、このひとの腕の中では泣いても許されるような気がしたのだ。この腕の温もりも、温かな慈しみに満ちたまなざしもすべて、自分の記憶が憶えている。
 そんな気がした。
 本当は、ゆきずりで逢っただけの男なのに、明善とは全く違う別人だと判っていたのに、思わず縋ってしまったのは、彼の瞳の中に亡くなった恋しい男を見出そうとしたのは、やはり香花の心が切ないほど明善を求めていたからだったのだろう。
 月光が咲き始めた梅を冴え冴えと照らす夜、香花は出逢ったばかりの全知勇の腕に抱かれて泣いた。
 知勇は香花が泣き止むまで、ずっと抱きしめ背を撫でてくれた。
「ごめんなさい」
 香花が恥ずかしげに頬を染めて微笑むと、知勇は優しい笑みを見せた。
「気にしなくて良い。両班の令嬢が町娘の格好をして暮らしている。よほどのことがあったのだろう」

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