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月下にひらく華~切なさの向こう側~第6話【漢陽の春】

第9章 燕の歌

「少しだけお時間を頂けませんか」
 正史は、この従順で聡明な息子を自慢の種にしてきた。自分が多少の悪名や不評をかってまでも財をなしてきたのは、すべて我欲ではなく、この出来の良い息子を出世させてやろうという親心から来ている―と本人は思い込んでいる。
 世の中、何事も金次第だ。幸いにも息子は自分に似ず、頭も人柄も良い。科挙には難なく合格するだろうし、それから先は金を使えば、順調に出世するだろう。我が家門から判(パン)書(ソ)や参(チヤン)判(パン)を出すのも夢ではないかもしれない。
 およそ父親の命に逆らったことなどない、素直な息子なのだ。その息子が翻した突然の反旗に、正史は内心焦っていた。
「判った、話を聞こう」
 正史は寝室とは続きになった隣の室に移動し、息子に座るように言った。妾の姿は、いつしか消えていた。
「話とは何なのだ」
 気詰まりな沈黙に堪えかね、正史の方が切り出す。
 知勇は父をじいっと見つめた。
「今夜もまた、妓房にお行きになったのですね」
 正史の顔は深酒のせいで紅く、吐く息は思わず眉を潜めたくなるほど酒臭い。

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