月下にひらく華~切なさの向こう側~第6話【漢陽の春】
第1章 第一話【月下にひらく花】転機
言えない、言うはずがなかった。張峻烈は亡き父とも親しく、叔母夫婦はいまだに家族ぐるみで付き合っているのだ。そんな身近な人が異端の教えに染まっているなどと、どうして言えるだろう。
「それでは、張先生が儒学を説いておられるのは、天主教徒であることを知られぬための隠れ蓑だと?」
しかし、明善はその質問には応えてくれなかった。が、否定は何よりの肯定にも思える。
「この話は早くに忘れてしまった方が良い、これは私のためでもなく張先生のためでもない。金先生、あなたのためだ」
下手に拘わり合いになったり、首を突っ込んだりしない方が良いと忠告しているのだ。
「旦那さま、その先生とお呼びになるのは辞止めて下さい」
消え入るような声で呟いた香花の耳に、残念なことに、明善の囁きは届かなかった。
「私は何ゆえ、彼の神の教えに心惹かれながらも、まさにそれとは対極の生き方を―権力に縋り、恨みを抱(いだ)いて生きようとするのだろうか」
明善は思案に耽るように宙の一点を見つめている。既にその心にも眼にも香花は映ってはいない。
今、この男(ひと)は何を見て、考えているの?
人は皆、平等だという異国の神の教えに想いを馳せているのだろうか、それとも、その教えを信奉していたという亡き夫人のこと?
この男の心を覗いてみたい。何を考えているのか、知りたい。そう思ってしまうのは、どうして?
この頃、自分はおかしい。夜、与えられた部屋で一人本を読んでいても、瞼に浮かぶのは明善の深いまなざしや優しげな声ばかりだ。
「それでは、張先生が儒学を説いておられるのは、天主教徒であることを知られぬための隠れ蓑だと?」
しかし、明善はその質問には応えてくれなかった。が、否定は何よりの肯定にも思える。
「この話は早くに忘れてしまった方が良い、これは私のためでもなく張先生のためでもない。金先生、あなたのためだ」
下手に拘わり合いになったり、首を突っ込んだりしない方が良いと忠告しているのだ。
「旦那さま、その先生とお呼びになるのは辞止めて下さい」
消え入るような声で呟いた香花の耳に、残念なことに、明善の囁きは届かなかった。
「私は何ゆえ、彼の神の教えに心惹かれながらも、まさにそれとは対極の生き方を―権力に縋り、恨みを抱(いだ)いて生きようとするのだろうか」
明善は思案に耽るように宙の一点を見つめている。既にその心にも眼にも香花は映ってはいない。
今、この男(ひと)は何を見て、考えているの?
人は皆、平等だという異国の神の教えに想いを馳せているのだろうか、それとも、その教えを信奉していたという亡き夫人のこと?
この男の心を覗いてみたい。何を考えているのか、知りたい。そう思ってしまうのは、どうして?
この頃、自分はおかしい。夜、与えられた部屋で一人本を読んでいても、瞼に浮かぶのは明善の深いまなざしや優しげな声ばかりだ。