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月下にひらく華~切なさの向こう側~第6話【漢陽の春】

第14章 第4話【尹(ユン)家の娘】・夢見る老婦人

 愕いたように眼を見開いた老婦人の眼がやわらかく細められる。彼女は幾度も頷いた。
「そう、ね。確かにあなたの言うとおりだわ。折角咲いている花を無闇に手折るものではないわね。判りました、もう無理にとは申しません」
 老婦人の言葉に、香花も微笑んだ。
「失礼なことを申し上げ、お許し下さい」
 老婦人はゆるりと首を振る。
「また、おいでなさい。そなたのように花を愛でる者たちのために、我が屋敷の門はいつでも開けてあるのですから」
「ありがとうございます」
 香花が頭を下げて今度こそ背を向けると、老婦人は深い息を吐いた。
―素花、やっと帰ってきてくれたのね。私の素花。
「あなたは変わらず優しい娘ね、素花。私の誇り、私のすべて、愛しい娘」
 その呟きに、傍らの若い女中がギョッとしたような顔で老婦人を見る。
「奥さま、あの者は―」
 〝お嬢さまではございませぬ〟と続けようとして、女中は言葉を呑み込んだ。老婦人は既に夢見るように恍惚りとした表情をその面に浮かべ、薄紅色の薔薇たちを愛おしげに眺めている。

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