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月下にひらく華~切なさの向こう側~第6話【漢陽の春】

第2章 縁(えにし)~もう一つの出逢い~

 その時。突如として背後から大きな手で口許を覆われた。その弾みで手にしていた燭台が地面に落ち、唯一の灯りが消えた。
 だが、かなりの物音がしたにも拘わらず、静まり返った屋敷からは誰も出てこない。次いで、身体も抱きすくめられ、身動きの一切を封じ込められる。
「う―」
 悲鳴を上げようとしても、声にならない。
―いやっ、誰か、助けて!
 香花は渾身の力で暴れたが、哀しいかな、相手は相当屈強な身体つきらしく、押さえ込まれた身体はビクともしない。
「静かにしろ」
 ふいに耳許に低い声が囁いてくる。
 涙眼になっていた香花が身体の力を抜いた。
「お前に害をなすつもりはない」
 後ろから羽交い締めにされているため、自分を拘束している男の顔は見えない。しかし、低い威圧的な声にはどこか抗いがたい蠱惑的な響きがあった。
 男の声に聞き惚れそうになっていた香花はハッと我に返った。男はどうやら香花が抵抗を止めて素直に従うものだと思い込んだらしい。ふと身体に回された両腕の力が緩んだ。今だと一瞬の隙を突き、ありったけの力を腕に込める。
 身体ごとぶつかり、男の身体を後方へ突き飛ばすと、逞しい腕は存外に呆気なく離れた。
 その弾みかどうか、パサリと小さな物音がして、何かが落ちたらしい。
「こいつめ、小癪な真似をしやがって」
 背後で忌々しげに舌打ちが響いたかと思うと、脚音が近づいてくる。
 香花は咄嗟に身体を回転させ、男に対峙する姿勢を取った。地面に何かが落ちている。先刻、男を突き飛ばした拍子に落ちたのは、これだったのか。

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