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月下にひらく華~切なさの向こう側~第6話【漢陽の春】

第15章 不幸な母

 それでも、まだ自分は良い。彼の妻は娘が亡くなって以来、心を病んでしまった。哀しみと絶望が大きすぎたのだろう。素花の死をいまだに受け止めきれず、かつて娘がこよなく愛していた薔薇を日がな心ここらあらずといった体で眺め続けている。
 かと思えば、誰もいない部屋で一人で喋っていて、その話し声はどうやら、いもしない素花に向かって話しかけているもののようなのだ。
―奥さまはお嬢さまを亡くされた哀しみで狂ってしまわれた。
 古くからの使用人たちまでがそう囁き合っている。
 徳義は部屋の前で深い吐息を人知れず洩らし、両開きの扉を開ける。
「気分はどうだね、夫人(プーイン)」
 できるだけ自分の表情が屈託ないものであめることを祈りながら、徳義は穏やかに問いかけた。
 良人を認めた妻理蓮は立ち上がり、上座を彼に譲る。彼は鷹揚に頷き、軽く頭を下げる妻の前を通り、それまで妻が座っていた座椅子に腰を下ろした。

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