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月下にひらく華~切なさの向こう側~第6話【漢陽の春】

第3章 陰謀

 と、くどいほどに役人たちは念を押したのだ。それに対して、終始、強硬な態度で押し通したのはむろん、明善を守るためでもあった。が、取り調べを受けている最中、香花は何度かあの男のことを思い出した。
 そう、先夜、明善にあの男のことを言おうと思えば、香花は言えたはずだった。なのに、香花は最後まで盗っ人の存在を話せなかった。それは何も明善を思ってのことではない。
 盗まれた品が殺生簿だと知った―、その一点を除けば、盗っ人の話をしても良いはずだ。
 あの男のことを告げれば、明善はもしかしたら彼なりに手を回して、殺生簿を取り戻せるかもしれないのだ。
 何故、あの盗っ人について明善に告げなかったのかと問われれば、香花は即座に応えられない。強いて言うなら、明善に悪に手を染めて欲しくないと望むのと同じくらい、あの不敵な盗っ人が役人に捕まるところを見たくないと思うからだ。
 あの殺生簿を盗まれたからといって、明善の陰謀が潰えることはないだろう。殺生簿があろうがなかろうが、あそこに記された者たちの名は既に彼の中にきっちりと刻み込まれているはずだ。今更、計画を変更するはずがない。
 それでも、なお、香花は願っている。明善が怖ろしい陰謀から手を引き、罪なき人の血で手を染めるのを止めて欲しいのだ。
 香花は一人庭に佇み、紫陽花を見つめる。
 梅雨の狭間の晴れ間なのか、今日は陽差しが強かった。気温はぐんぐんと上がり、日中の今はこうして庭に立っているだけで、じっとりと汗ばんでくる。
 強い陽差しのせいか、漸く海色に染まってきた花たちの元気がないように見える。

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