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月下にひらく華~切なさの向こう側~第6話【漢陽の春】

第3章 陰謀

 それから更に数日を経たある日、暦は既に七月に変わろうとしていた。
 その朝、香花は一人で町に出かけた。
 娘一人での外出は物騒だからと最後までウィギルが伴を申し出てくれたのだが、香花は丁重に断った。
―ウィギルは先生に惚れてるんだよ。
 傍で一部始終を見ていたソンジョルが曲がった腰を叩きながら、にやにやして言った。
 そういった男女のことに疎い香花は、その時、初めてウィギルが自分に寄せる想いを知った。
 もちろん、両班の令嬢である香花と下僕にすぎないウィギルが結ばれることはない。また、香花自身、ウィギルの純朴さは人間として好もしくは思えるが、異性として意識したことはないのだ。たとえウィギルの気持ちを知ったとしても、彼の面子を思えば知らないふりをする方が良い。
 ウィギルのがっかりした顔を目の当たりにすると、心が痛んだが、その日は一人でゆっくりと考えてみたいことがあったのだ。
 どうも屋敷内にいると、明善のことを考えてしまう。
 今はもう、何もかも忘れたかった。明善のことも、あの謎の黒装束の盗っ人のことも考えたくない。
 外出用の外套を頭から被り、人眼を避けるようにして歩いていても、やはり身なりの良い美しい少女が一人で出歩いている姿は人眼を引く。町の目抜き通りには両脇にずらりと露店が軒を連ね、大勢の通行人がひしめき合っていた。
 四ツ辻では旅の大道芸人が面をつけた滑稽な躍りを披露して、観客を沸かせている。
 うっかりそちらに気を取られて歩いていると、向こうから歩いてきた二人連れの男にぶつかりそうになり、思いきり怒鳴られてしまった。

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