テキストサイズ

月下にひらく華~切なさの向こう側~第6話【漢陽の春】

第3章 陰謀

 彼女が興味を引かれたのは簪だった。大ぶりの銀の簪の先に、珊瑚で拵えた花がついている。小さな珊瑚が無数に集まった花は、その形からして紫陽花だろうか。葉の部分には緑の石―翡翠が埋め込まれていた。
 安物ばかり商っているのかと思ったが、これはかなり良い品だし、値も張るはずだ。残念だが、崔家の家庭教師をしている自分には、手の届かない贅沢なものである。
 と、娘たちがはしゃぎながら、品を手にして去ってゆく。どうやら商談は成立したようだ。まあ、あれほど若い女が秋波を露骨に送るほど魅力的な店主であれば、商いもさぞやり易いことだろう。客が女相手の小間物屋であれば、尚更である。
 先客が去り、すっかり森閑とした店先に一人でいるのは、どうも気詰まりだ。香花は珊瑚の簪をそっと元に戻すと、そのまま踵を返そうとした。
 そのときだ。
「何だ、買わないのか?」
 聞き憶えのあるような気がする声がして、香花はハッと面を上げた。
「あなたは―」
 声が、震える。
 あろうことか、眼前に尊大にも見える笑みを浮かべて仁王立ちになっているのは、彼(か)の盗賊であった。十日前、明善の屋敷に忍び入り、まんまと殺生簿を盗んで消えた男である。
「フーム、あの夜は夜着姿でなかなか色っぽかったが、昼間のその格好もなかなかだ。お前、薄紅色が似合うんだな。流石は両班の姫さまだ。俺ら下賤の者とは違う、何だか良い匂いがしてくるような気がするぜ。抱き心地もさぞ良いだろう、なあ、お嬢さんよ?」
 無遠慮に手を伸ばしてくる男の手を避け、ひょいと身を後ろに退く。
 男は端から本気ではないらしく、へらへらと笑いながら〝気の強い女は怖ぇな〟と一人で調子づいている。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ