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月下にひらく華~切なさの向こう側~第6話【漢陽の春】

第3章 陰謀

 清潔な衣を纏ってはいるが、そのいでたちは極めて質素なもので、彼がその日暮らしの庶民であることを物語っている。身なりそのものは、この国のどこにでも見かけるようなごく普通の若者だ。だが、どのような格好をしていようと、彼の身体の内から滲み出る圧倒的な存在感というものは隠しようがない。
 既に二十五、六にはなっているだろうのに、長い髪の毛は結わず、一つに無造作に括って後ろに垂らしている。髪の毛もまた、瞳同様に茶褐色で、陽の当たり加減で時折、黄金色に染まって見えた。
 あの夜ほどの違和感はないが、やはり、ごく平凡な青年に身をやつしていても、この男が生粋の朝鮮人には見えない。
「どうしたんだ、惚けたような表情(かお)をしてるぞ? さては俺に見惚(みと)れていたな」
 男が形の良い口許を笑みの形に引き上げる。
 美麗な面立ちや、科白の甘さとは裏腹に突き放すような素っ気ない口調だ。
「なっ」
 あまりの手前勝手な思考に怒るよりも呆れてしまった。だが、悔しいけれど、男に指摘されたとおり、香花は自分でも知らぬ中に、男に見とれていたのは確かだ。もっとも、たとえ燃え盛る焔に投げ込まれたとしても、このいけ好かない図々しい奴にそんなことを言うつもりはないけれど。
 男の言葉で我に返った香花は、ピシャリと軽く男の手をはたいてやった。
「痛、何するんだよ、この暴力女め」
 男が思いきり美しい顔をしかめる。
 煌めく水晶を思わせる瞳から、既に拭いがたり翳りは消えていた。それにしても、見かけと性格がこれほど違う人間もそうそういるまい。黙って立っていれば、薄汚い格好をしていても両班の若さまにも引けを取らないほどの優美さ、気品を持っているのに、勿体ないことだ。

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