
月下にひらく華~切なさの向こう側~第6話【漢陽の春】
第3章 陰謀
一瞬、男の美しい面に傷ついた表情がかいま見えた。
しまった、言い過ぎたと後悔しても、今更遅い。それに、香花の気性では、ここで後に退くことはできなかった。結局、彼女は最後まで素直になれず、さも怒ったようにツンと顎をそらすしかできない。
「持ってけよ」
それでも、意外にも男は気を悪くする風もなく、簪を差し出してきた。
確かに、この珊瑚の簪をひとめ見たときから、気に入っていたのは事実だ。もし持ち合わせがあれば、買いたかったとちらりと考えたのも隠しようがない。が、崔家で厄介になっている今の自分には、分不相応だと諦めたのである。そんな自分の気持ちが男に伝わるほど露骨に貌に出ていたのかと考えると、恥ずかしさに頬が赤らむ。
誇り高い両班家の娘としてはあるまじき、はしたないことだ。金がない―貧しさとは人をここまで変えてしまうものだろうか。香花の父は無闇に身分を笠に着て威張るような人ではなかった。しかし、香花はやはり両班のはしくれとして、常にそのふるまいを正すように諭されて育ったのである。
「良いから、これはお前にやると決めたんだ」
男はやけにきっぱりと言い切り、結局、香花は簪を手に握らされてしまう。
「気をつけて帰るんだぞ」
香花は最早、男の声など聞いてはいなかった。珊瑚の簪を握りしめたまま、逃げるようにその場から走り去った。
その夜、珍しく崔家の屋敷に客があった。
明善は特に人付き合いが悪いというわけでもなさそうだが、屋敷を訪れる者は滅多とない。現に香花がこの屋敷に住むようになってからひと月余りというもの、訪問者は一人としていなかったのである。
しまった、言い過ぎたと後悔しても、今更遅い。それに、香花の気性では、ここで後に退くことはできなかった。結局、彼女は最後まで素直になれず、さも怒ったようにツンと顎をそらすしかできない。
「持ってけよ」
それでも、意外にも男は気を悪くする風もなく、簪を差し出してきた。
確かに、この珊瑚の簪をひとめ見たときから、気に入っていたのは事実だ。もし持ち合わせがあれば、買いたかったとちらりと考えたのも隠しようがない。が、崔家で厄介になっている今の自分には、分不相応だと諦めたのである。そんな自分の気持ちが男に伝わるほど露骨に貌に出ていたのかと考えると、恥ずかしさに頬が赤らむ。
誇り高い両班家の娘としてはあるまじき、はしたないことだ。金がない―貧しさとは人をここまで変えてしまうものだろうか。香花の父は無闇に身分を笠に着て威張るような人ではなかった。しかし、香花はやはり両班のはしくれとして、常にそのふるまいを正すように諭されて育ったのである。
「良いから、これはお前にやると決めたんだ」
男はやけにきっぱりと言い切り、結局、香花は簪を手に握らされてしまう。
「気をつけて帰るんだぞ」
香花は最早、男の声など聞いてはいなかった。珊瑚の簪を握りしめたまま、逃げるようにその場から走り去った。
その夜、珍しく崔家の屋敷に客があった。
明善は特に人付き合いが悪いというわけでもなさそうだが、屋敷を訪れる者は滅多とない。現に香花がこの屋敷に住むようになってからひと月余りというもの、訪問者は一人としていなかったのである。
