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月下にひらく華~切なさの向こう側~第6話【漢陽の春】

第3章 陰謀

 その来訪者は夜もかなり更けてから、崔家の門をひそやかに叩いた。女中のソンジョルが持病の腰痛で寝込んでいたため、急遽、香花が代わりに茶菓の用意を調える。
 下男のウィギルに案内された客はそのまま明善の居室に案内されたようだ。茶器と干菓子を盛った器を載せた小卓の上に更に鮮やかなピンクの布をかけ、明善の部屋まで運ぶ。
 廊下の角を曲がったまさにその時、室の中から潜めた男の声が聞こえた。そう、香花は人よりなかり聴覚が良いのである。
 こんなときは、この自慢にもならない聞こえの良さが恨めしい。他人に聞かれたくないからこそ、ここまで小声で話しているものを、そのつもりもないのに聞いてしまう自分が嫌になる。
 だが。
 耳に飛び込んできた科白に、彼女はさっと硬直する。
「―やはり、ここは一日も早く王のすげ替えを致さねば、我々の立場も危ういものとなろう、のう、崔承旨」
 今、この男は何と、何と言った!?
 香花は震えそうになる手に力を込める。
 王のすげ替え! 自分の頭がおかしくなってしまったのでなければ、来客は確かにそう言った。
 一体、この客は何者なのだろう。
「今宵は大(テー)監(ガン)に我が家のようなみすぼらしい家にわざわざお越し頂くとは恐縮です」
 これは聞き慣れた明善の声だ。
 対する男―客は苛立ったように怒鳴る。
「何を呑気なことを申しておる。儂がたった今、申したことを聞いてはいなかったのか?」
 激昂したせいか、抑えていた声がやや高くなった。この声では、香花でなくとも、耳の少々遠いソンジョルにでも聞こえてしまうに相違ない。

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