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月下にひらく華~切なさの向こう側~第6話【漢陽の春】

第1章 第一話【月下にひらく花】転機

 きょとんとした顔の香花を見て、叔母は苦笑いを浮かべる。ふと手を伸ばしたかと思うと、香花の艶やかな黒い髪を撫でた。
 まだ嫁ぐ前の香花は長い髪を後ろで一つに結わき、背中に垂らしている。その三つ編みを飾るのは亡き父が生前買ってくれた髪飾りだ。後にも先にも父が娘に装飾品を買ってくれたのはこれだけ―しかも急な心臓発作を起こして亡くなる三日前に買ってくれたものだった。
 この髪飾りは香花にとっては父の形見であり、けして手放せないものだ。
「そなたは歳の割には賢く聡明です。機転も利くし、女ながらも学問をよくし、本もたくさん読んでいる。されど、香花、そなたの唯一の欠点は、世間のこと、例えば男女の理(ことわり)など何も知らぬこと。そなたの父上もまた書物を愛し、博識家であられたが、恐らく父上はそなたにはそういったことは何も教えてはおらぬでしょう」
「叔母上さま、私には仰せの意味が判りかねます」
 そういった香花の表情は、大人びて見える常とは違い、十四歳相応の幼さがほの見えた。
 叔母が大仰な吐息を吐き出す。
「崔さまには奥さまがおられませぬ。亡くなられた奥方さまの間にはお二人のお子がおられ、探している家庭教師というのは、このお子たちのためなのです。前任の家庭教師は若いとはいえ、れきとした男性でした。つまりですね、香花。そなたが崔さまのお屋敷に住み込みでお仕えするようになれば、崔さまとお屋敷に二人きりということになるのです」
 むろん、他に使用人がいないというわけではありませんがね、と、叔母は付け足したが、更に困惑げな顔になった。

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