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月下にひらく華~切なさの向こう側~第6話【漢陽の春】

第3章 陰謀

 一瞬の静寂の後、男が吹き出したかと思うと、腹を抱えて笑い出した。
 何がおかしいのか、男は涙眼になって笑っている。しばらく唖然として見つめていた香花はすっかり気分を害した。
「あなたって、やっぱり最低」
 くるりと背を向けようとすると、男がまだ笑いながら追いかけてくる。
「待てったら」
「何がそんなにおかしいのよ?」
 香花は仁王立ちになり、男を挑戦的な眼で睨み据える。
「だって、お前、全然似合ってないよ、その名前。だって、香る花だなんて。名前だけ聞けば、どこの儚げな美少女かと錯覚しちまうぜ。もっと名前をふさわしいのに変えた方が良いんじゃないか、騒馬(ソマル)とか」
 そう言いながらも、眼尻に涙すら浮かべて笑い転げる。
「騒馬―」
 香花は呟き、繰り返す。
 騒馬、騒馬。
「何ですって、それって、私が騒がしい馬ってこと?」
「ま、読んだとおりだよな」
 男は美しい面に、さも愉快そうな笑みを浮かべている。
「つくづく無礼な男ね。これ以上、話す気も失せるわ」
 香花は怒って、今度こそ踵を返した。
 何歩か歩き、くるりと振り返る。
「ところで、あなたの名は?」
 男は何も言わず、ただ癇に障る気障ったらしい仕種で長い前髪をかき上げた。しかしながら、美しい男は特である。いかにもわざとらしい態度でも、美しい男がやれば、それすらも様になり、絵になるのだから。

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