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月下にひらく華~切なさの向こう側~第6話【漢陽の春】

第3章 陰謀

 今のこの男のわざとらしい(他の大勢の女にはさり気なく映ることだろう)態度を見ただけで、都のどれほどの女たちが熱い溜息を洩らすことだろう。
 香花は、まだ自分がどれほどの美少女かを全く意識していない。また、その己の美しさを自覚してはおらぬことそのもの―無垢な美しさが香花の魅力の一部ともなっているのだ。
「お前もとうとう俺のことが知りたくなったってか?」
「何よ、人に名前を訊ねて応えさせておいて、あまつさえ、さんざん笑い者にしたくせに、自分は名乗らないつもり?」
 香花が叫ぶと、男は秀麗な顔を綻ばせる。
 奥手な香花でさえ、心を妖しく揺さぶられるような、実に妖艶な微笑だ。まるで漆黒の闇を背景に艶然と咲き誇る満開の桜のような。
「―光王(カンワン)」
「光王ですって!? その名前って、まさか」
 香花は柳の鞭でピシリと額を打たれたような気がした。
 光王―、かれこれ十年ほど前から都を騒がせている義賊の名前だった。光王が初めてその名を天下に轟かせたのは、まだ前王陽徳山君の治世下のことである。光王が標的にするのは貧しい者を泣かせ、搾取できるだけ搾取するあくどい両班や豪商といった庶民の敵だけだ。
 彼が〝義賊光王〟であるならば、明善の屋敷に忍び込んだのも納得できる。何故なら、明善はあの時、殺生簿を持っていたのだから。
 そして、あれは、心から朝鮮の未来を思う者にとっては、けして、あってはならないものだ。この世を覆い尽くしていたすべての闇を払い、新たな光でこの国を照らした太陽ともいえる新王完宗を誅殺し、またしても愚かな若者を王に立てようなど、誰よりも国を民をも思う義賊には許せないことだろう。

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