月下にひらく華~切なさの向こう側~第6話【漢陽の春】
第4章 夜の蝶
香花が二つ並んだ紫陽花の樹を代わる代わる眺めている。
「それにしても、〝幻の花〟なんて、珍しい名前」
香花が誰ともなしに呟くと、桃華が応えた。
「本当の名前じゃないのよ、先生。〝幻の花〟というのは、崔家の誰か―この紫陽花をここに植えた人が付けた仮の名前らしいわ。きっと、その人もこの紫陽花の真の名を知らなかったんだと思うわ」
「不思議な花ねえ」
香花は小首を傾げながら、興味深げに〝幻の花〟を見つめていた。
思わず微笑まずにはいられない光景だった。ああして見ると、やはり、香花と子どもたちは家庭教師と生徒というよりは、姉と弟妹に見える。
香花ならば、桃華と林明の良き母となってくれるだろう。そこまで考えて、明善は緩くかぶりを振った。
馬鹿な。一体、何を考えているのだ、私は。
あの娘はまだ十四だ。自分とはひと回り以上も歳が離れ、下手をすれば、親子ほどの差だ。あのように幼い少女を妻に迎えたいなどと、頭がどうかしてしまったに違いない。
―この年でこれほどなのだ、あと数年経てば、いかほど美しく花開くか。このようなまだ開かぬ蕾をたっぷりと可愛がり、女として開花させるのもまた男としては一興というものだぞ。
数日前、左議政陳相成が突如として屋敷を訪ねてきた。むろん、内密の訪問である。
あの時、茶菓を運んできた香花をひとめ見て、相成は香花を側妾にしたいと所望してきた。相成の言葉が今、耳奥で甦る。
確かに、香花は可憐な美少女だ。好き者の相成が食指を動かすだけでなく、自分のような朴念仁でさえもがあの黒曜石のような瞳に魅了されずにはいられない。
「それにしても、〝幻の花〟なんて、珍しい名前」
香花が誰ともなしに呟くと、桃華が応えた。
「本当の名前じゃないのよ、先生。〝幻の花〟というのは、崔家の誰か―この紫陽花をここに植えた人が付けた仮の名前らしいわ。きっと、その人もこの紫陽花の真の名を知らなかったんだと思うわ」
「不思議な花ねえ」
香花は小首を傾げながら、興味深げに〝幻の花〟を見つめていた。
思わず微笑まずにはいられない光景だった。ああして見ると、やはり、香花と子どもたちは家庭教師と生徒というよりは、姉と弟妹に見える。
香花ならば、桃華と林明の良き母となってくれるだろう。そこまで考えて、明善は緩くかぶりを振った。
馬鹿な。一体、何を考えているのだ、私は。
あの娘はまだ十四だ。自分とはひと回り以上も歳が離れ、下手をすれば、親子ほどの差だ。あのように幼い少女を妻に迎えたいなどと、頭がどうかしてしまったに違いない。
―この年でこれほどなのだ、あと数年経てば、いかほど美しく花開くか。このようなまだ開かぬ蕾をたっぷりと可愛がり、女として開花させるのもまた男としては一興というものだぞ。
数日前、左議政陳相成が突如として屋敷を訪ねてきた。むろん、内密の訪問である。
あの時、茶菓を運んできた香花をひとめ見て、相成は香花を側妾にしたいと所望してきた。相成の言葉が今、耳奥で甦る。
確かに、香花は可憐な美少女だ。好き者の相成が食指を動かすだけでなく、自分のような朴念仁でさえもがあの黒曜石のような瞳に魅了されずにはいられない。