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月下にひらく華~切なさの向こう側~第6話【漢陽の春】

第4章 夜の蝶

 その日の夜、香花は明善の居室に呼ばれた。その室は、言うならば、居間兼書斎である。承旨である彼は日中は宮殿に詰めていることが多いが、非番の日や夜は大抵、ここにいて書見をしている。
 香花が初めてこの屋敷に来た日も、初対面の挨拶はこの部屋で行われた。その後も、香花はしばしば明善に頼まれ、茶菓を運んできては、そのついでに話し込むことがあった。
 明善は愕くほどの博識家で、香花は明善と話していると、亡き父と共にいるような気がしてならない。父もまた学問に深い造詣を持ち、よく書に親しんでいた。明善は父より九つ年下だが、その見識の広さは父をはるかに凌いでいる。物識りの彼と話しているだけで、香花は自分の回りの世界が何倍にもひろがってゆくような気がした。
 もっともっと、この男と一緒にいたい。よりたくさんの時間を共に過ごし、同じ物を見て同じ道を寄り添い合いながら生きてゆきたい。
 香花の心は切ないほどに明善を求めている。しかし、明善にそれを求めてはならない。
 何故なら、彼の心にはいまだに亡き妻の面影しかないのだから。彼の本来は優しい心を復讐の一念で正常な判断ができないほどに曇らせ、狂わせてしまうほどに。
 だから、明善に愛して貰おうとか、自分だけを見て欲しいなどと我が儘は言わない。でも、せめて傍にだけはいたい。自分の方を見てくれなくても構わないから、何も求めたりしないから、傍に居させて欲しい。
 こうやって大好きな男の貌を見て、声を聞けるだけで、香花は十分に幸せなのだ。
「旦那さま、何かご用でしょうか」
 香花が廊下側から遠慮がちに声をかける。
「入り(トラ)なさい(オノラ)」
 すぐに返事があり、香花は両開きの扉をそっと開けた。

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