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花鬼(はなおに)~風の墓標~

第9章 夜明け―永遠へ―

 だが、伝次郎が熊の気持ちを受け容れないからといって、彼を責めることはできない。常識からはかれば、伝次郎の反応は当然のことだ。夜半に二度しか逢ったことのない娘がいきなり現れて〝好きだ〟と言っても、たいがいの男は本気で取り合おうとはしないだろう。頭のイカレた小娘か、さもなければ、誰にでも声をかけるよほどの尻軽女だと思われるのが関の山だ。
 それに熊を連れて逃げる―そのことは主である信虎に真っ向から刃向かうことを意味している。逃亡すれば、すぐに追っ手が放たれるであろうし、仮に無事逃げおおせたとしても、これから辿ろうとするのが茨の道であることは間違いなかった。
「ごめんなさい。こんな真夜中に突然押しかけてきて」
 熊は溢れようとする涙をこらえながら、伝次郎に頭を下げた。
 こんなときに涙を見せるのは卑怯だ。熊は玄武の国を出てからというもの、どんなに辛くても淋しくても、けして他人の前で泣かなかった。
 だが、半月前、伝次郎の前では何故か涙を抑えることができなかった。まるで二年分のこらていた涙が堰を切ったように溢れ出してきて、自分でも突然の感情の暴走を止めることができない有り様だった。

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