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花鬼(はなおに)~風の墓標~

第3章 【邂逅―めぐり逢いの悲劇―】

 太吉は泉のほとりで出逢ったというその男が絢を見初めたのだと知った。恐らくは絢を無理にでも自分の屋敷に連れ帰ろうとしたに相違ない。が、すんでのところで逃げられたのだろう。
 絢はまだか細い身体を震わせながら、太吉の胸に顔を埋めていた。こんな妻に到底、真実を告げられるものではなく、ただ今後は外に一人で出ぬようにと注意するのが精一杯だった。恐怖に震えている絢をこれ以上怯えさせるのは忍びなかった。
「良いな、一人で外に出てはならねえぞ」
 太吉がもう一度念を押すと、絢は小さく頷き、いっそう太吉の胸に頬を押し付けてきた。
太吉は安堵させるように絢の背をいつまでも優しく撫で続けた。
 それから半月。春はこの森の奥深くにも訪れようとしていた。陽差しは更に温かく春めいてきて、すべてのものをやわらかな光で優しく包み込んだ。あの怖ろしげな男に出逢ってから、絢は太吉の言いつけを守り、けして一人で外出はしなかった。あれほど大切にしていた父の墓参りも止め、ひたすら小さな家の中に引きこもって過ごした。
 時には恐怖のあまり、怖い夢にうなされることもあった。鬼のような形相をしたあの男に馬で追いかけられる夢―。悪夢を幾度となく見て、夜半に目ざめた。その度に傍らに眠る太吉が絢を抱きしめてくれた。良人のこの広い腕の中にいる限り、自分は安全なのだ。太吉は自分を守ってくれると、絢は太吉の腕に抱かれて、また眠りに落ちてゆく。

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