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花鬼(はなおに)~風の墓標~

第3章 【邂逅―めぐり逢いの悲劇―】

その夕刻のことである。
 太吉は町から帰ってきた。獲物が思ったよりも高値で売れ、太吉は絢に約束したとおりにたくさんの米や調味料、当座に必要な品々を買い込んできた。それらを風呂敷に包み、背に負うて逸る心で帰り道を辿ってきたのだが、小さな小屋の中には誰もいなかった。
「絢、絢?」
 太吉は狂ったように家の中から、その周辺を妻を探し回った。
「あれほど外へ出てはならぬと言うたのに」
 太吉は口惜しい想いで泉のほとりへと行った。捨てられた自分を育ててくれた卯平は太吉にとって生命の恩人であった。卯平に拾われなければ、太吉はとうに森に棲む獰猛な獣の餌食になっていただろう。
 だが、太吉の絢への想いは卯平への感謝と義理とはまた別のものであった。最初は姉のように慕っていた絢がいつしかかけがえのない存在となり、心から愛する女へと変わっていったのだ。
―絢のことを頼む。絢を守ってやってくれ、太吉。
 卯平のいまわの際の言葉が今も耳奧に残っている。育ての親の卯平が最後まで案じていたのが絢のゆく末であった。たとえ卯平に頼まれずとも、太吉は絢を全力で守るつもりであった。たとえ我が生命を賭しても絢だけは傷つけない、傷つけさせたくない。
 太吉の墓の前まで来た時、太吉は自分の留守中に何が起こったかを知った。泉のほとりに散り敷いた花びらは血の色に染まっていた。その中に血にまみれた矢が一本落ちていた―。
「他人(ひと)の女房をまるで狩りの獲物のように矢で射たというのか」
 太吉は震える手で矢を拾った。既に矢についた血糊は乾いている。絢があの男に連れ去られてから、かなりの刻を経ているに相違なかった。

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