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花鬼(はなおに)~風の墓標~

第4章 運命(さだめ)―哀しい別離―

 しかし、手込めも同然に抱かれた初めての夜の記憶は執拗に絢を責め苛む。それは悪夢という形で幾度も絢を悩ませるのだ。今夜もまた、あの夢を見た。夢の中で絢はまたしても鬼に変じた晴信に喰われようとしていた。
 その姿は紛れもなく初めて絢の寝所を訪れた夜の晴信であった。逃げ回る絢を縛め、容赦なしに幾度も貫いた晴信。あの日、確かに絢は晴信という美しき鬼に捧げられる贄となり、喰われたのだ。
 あの夜から絢は既に何度か晴信に抱かれた。二回めからは絢は抵抗を止めた。晴信を心から受け容れたわけではなく、抵抗しても一切無駄だと知ったからだ。そして、従順になれば、晴信は別人のように穏やかになり、閨の中でも絢を労ってくれさえすることが判った。武田晴信という男は逆らう者には徹底的に容赦なく冷酷になるが、素直に従う者には寛大な支配者となるのだ。それは戦場においても、女を征服することにおいても何ら変わりないようであった。
 絢はこの頃、自分で自分が判らなくなる。晴信という男をけして心から受け容れたわけでも愛しているわけでもないのに、晴信の愛撫に身体だけは順応してゆく。絢の他にも多くの側妾を持つ晴信は女の扱いを心得ていた。晴信と過ごす夜は太吉との淡いものしか知らぬ絢にとっては愕きそのものだった。太吉と過ごしたものが穏やかな春の陽光ならば、晴信に抱かれる夜はまさに嵐そのものだ。
 絢は晴信という男に翻弄され尽くされ、抱かれる度にその花びらを無残に散らされる。
 しかし、それはけして不愉快でも痛みを伴うものでもなく、むしろ絢がこれまでも経験したことない高みへといざなうものであった。これ以上、太吉を裏切ることはできない。たとえ身体がいかほど晴信との夜に狎れきっても、絢が愛しているのは良人ただ一人であった。

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