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花鬼(はなおに)~風の墓標~

第4章 運命(さだめ)―哀しい別離―

 再び障子がかすかな音を立てて揺れた。闇を這うその低い音が絢の耳に妙に耳につく。だが、すぐ隣の間にはお付きの侍女楓が眠っているはずだ。眠っているとはいえ、あくまでも仮眠を取っているにすぎず、万が一変事があるときは直ちに駆けつける手筈なっている。いわば宿直(とのい)番を務めているようなものだ。
 絢は咄嗟に背後を振り返って、隣の部屋の様子を窺った。隣からは何の物音も聞こえてこない。眠っている楓を起こすのは可哀想だけれど、思い切って声をかけてみようかと思ったのだ。
 そのときである。障子戸がすべった。
「―!」
 絢は悲鳴を上げようとして、口を後ろから何者かに押さえられた。分厚い手のひらがぴったりと口を覆い、絢は身動きもできぬほどの力で抱きすくめられた。
―誰、何者?
 恐慌状態の中、渾身の力で抗う。武田晴信に突如として拉致され、この館に連れてこられた。この上、更に狼藉者に襲われるという悲運に遭わなければならないのか。一体、自分がどのような悪いことをしたからといって、そのように辛い目にばかり遭うのだろう。
 絢の瞳に大粒の涙が溢れた。
 と、闇の中で低い声が聞こえた。
「絢、俺だ」
 その声は紛れもなく良人太吉のものであった。ここへ連れてこられてひと月近く、片時たりとも忘れることがなかった懐かしい男の声。
「お前さまっ」
 絢は泣きながら太吉の腕の中に飛び込んだ。

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