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花鬼(はなおに)~風の墓標~

第4章 運命(さだめ)―哀しい別離―

 太吉が笑った。
「まさか、そんなことをするはずがねえだろう。少しの間気絶して貰ってるだけさ。騒がれちまったら、おしまいだからな」
 絢は心底から安堵した。
―けして無益な殺生をしてはならねえ。
 今は亡き卯平に幼い時分から幾度となく教えられたきた太吉である。よもや何の罪もない楓をむざと殺めるような真似はしないとは思ったけれど、万が一ということも考えられた。太吉の言葉どおり、もし楓が大声を出せば、他の者に気付かれてしまう。幾ら心を許せるとはいっても、楓は所詮武田側の人間だ。絢をみすみす太吉に渡すとは思えなかった。
 しかし、太吉は楓を殺さなかった。太吉の優しい気性を思えば当然のことではあったが、一瞬たりとも太吉を疑ったことを心から申し訳ないと思った。
 それもやはり、「鬼」と化した武田晴信の姿を間近で見ているからだろう。晴信はまるで略奪するように人妻である絢を連れ去り、館に閉じ込めて我が物としたのだ。そこには情け容赦もない冷酷な男の姿があった。
「さあ、呑気にここで話している時間はない。行こう」
 太吉が差し出した手を絢はしっかりと握った。縁づたいに庭に降り、そこから裏門を目指すつもりだと太吉は言った。表と違い、裏は見張りの数も少なく、殊に夜は警備が手薄になる。既に門番には眠り薬の入った酒を呑ませているらしい。
「通りすがりの旅の者を装って、道を訊ねたのさ。親切に町へ出る道を教えてくれた礼にと酒瓶を渡してきた。今頃はそろそろ薬が効いて眠っている頃だろう」

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