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花鬼(はなおに)~風の墓標~

第3章 【邂逅―めぐり逢いの悲劇―】

―とと様は戦に出たことがあるのでしょ。
 一度だけそう訊ねた絢に、卯平は厳しい横顔を見せて押し黙った。その表情はこれ以上の質問を寄せ付けぬという断固とした拒絶が窺えた。それ以来、絢は子ども心にも父の昔には触れぬようにしてきた。
 戦場(いくさば)では殺さねば自分が殺される。人を殺めるのは罪には違いないが、戦場でその常識は到底通用しない。綺麗事を言っていたら、忽ちにして自分の首が撥ねられてしまう。つまりは、自分が生き抜くためには他人を殺さなければならない。他者の死の上に自らの生が成り立っているようなもので、この戦国の世は戦に明け暮れる日々であった。それは何も上の階級の大将だけに限らず、卯平のような下っ端の雑兵も同じことである。
 いや、下っ端であればあるほど、直接に相手方と斬り結ぶ機会は多く、自分の生命を危険に晒さなければならなかった。現にこの甲斐の国を統べる武田の殿様は天性の戦上手と讃えられ他国の武将からも畏怖されてはいたけれど、要するに殺戮に殺戮を重ねてきて、その手は犠牲者の血に紅く染め上げられていることに違いはない。
 卯平はそんな乱世のあり方を厭い、武士から猟師へと生き方を変えたのである。が、当時幼かった絢が父のそのような心のうつろいを知るはずはなかった。絢が物心ついた時、既に父卯平は森で生きる男であった。
 絢が八つの冬、家族が増えた。絢が父親と住まう森は深く、その奥まった場所に小さな小屋を建てて住む父娘を訪れる者は滅多といない。森の入り口から近いところには小さな村がある。皆百姓をしてその日を生きている貧しい村であった。村人の誰かが子どもを森に捨てたのだ。

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