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花鬼(はなおに)~風の墓標~

第4章 運命(さだめ)―哀しい別離―

「何故、殺したの?」
 絢は訊ねずにはおれなかった。こんな気違いじみた男にそれを訊ねたとて、応えが返ってくるとは考えていなかった。それでも、絢は訊かずにはおれなかった。太吉が、愛する良人がなにゆえ、死ななければならなかったのかを。
 しかし、意外にも晴信からの返答があった。
 晴信は美しい貌を歪めた。
「知れたことよ。この男はそなたを連れ戻そうとした。ただそれだけの理由だ」
「―」
 絢は息を呑んだ。この武田晴信という男は、人一人を斬り殺して、こうも平然としておられるものなのか。晴信は戦神と讃えられるほどの稀代の戦上手だ。度重なる戦で勝利を上げ続け、あまたの敵将を手に掛けてきた男だ。そんな人間であれば、たかが猟師一人を無礼討ちにしたとて、心はわずかも痛まぬものなのだろう。
 だが、ここは戦場ではない。戦で敵兵を斬り殺すのとは訳が違う。それも無理に人妻を略奪してきて、手込めも同然に我が物にした挙げ句、その妻を追ってきた亭主を斬り殺したのである。斬られた太吉には何の罪もなかった。常識のかけらでもある者ならば、到底できる所業ではない。
 あまりの傍若無人ぶりに、絢は言葉を失っていた。そんな絢を晴信は冷えたまなざしで見据えた。
「いつかも申したであろう? 私は一度狙うたものは必ず手に入れると」
 絢はキッと晴信を見返した。
 そんな非情なことを平気でやってのけることができるのは人間ではない。少しでも情を持ち合わせる者ならば、太吉の生命を奪うことまではしなかっただろう。そんなことをするのは正気を手放した狂人か、人間であることを止めた輩だけだ。

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