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花鬼(はなおに)~風の墓標~

第5章 【花闇(はなやみ)―対決の瞬間(とき)―】

 すべては良人を殺した憎い男を殺すために他ならなかった。絢はこれまで晴信にこれほどまでの痴態を見せたことはなかった。ただひたすら、声を上げまいとその執拗な愛撫に耐えていたのだ。それが太吉が亡くなってからの絢は別人のように変わった。むしろ、晴信の求めに積極的に応えるようになったのだ。そのため、晴信の機嫌は殊の外良かった。
 やはり、晴信ほどの男でも太吉という邪魔者が死んで、絢が自分に靡くようになったと勘違いしたのだろう。
―愚かな男。
 絢は晴信を心で嘲笑った。今に見ているが良い。恋しい太吉の許への旅立ちに晴信を道連れにしてやるのだ。
 悲壮な覚悟を定めて迎えた夜であった。
 渾身の力を込めて振り上げた懐剣を今まさに憎い男の喉許に突き立てようとしたまさにその時。
 眠っていたはずの晴信がガバと起き上がった。晴信は一瞬の動きで絢の攻撃を交わし封じ込めた。絢は裏腹に懐剣を握りしめていた手をねじり上げられた。晴信が少し力を込めただけで、まるで骨まで砕けるのではないかと思うほどの痛みが右腕に走る。
 絢は激痛に顔をしかめた。その拍子に手の中の懐剣が畳に落ちた。
「愚かな女よ。このような細腕でこの私が殺(や)れると思うたか。私がこうすれば、すぐにも折れるようなこの腕で」
 晴信が更に力を込める。絢は思わず悲鳴を上げそうになったが、懸命に耐えた。この状況で根を上げるのはあまりにも惨めだ。晴信暗殺に失敗したからには、もう生きてはおれまい。死はもとより覚悟の上だから、怖くはない。だが、生きてこれ以上の辱めを受けるのだけはご免だ。

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