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花鬼(はなおに)~風の墓標~

第5章 【花闇(はなやみ)―対決の瞬間(とき)―】

 うつむいた絢の視線が畳に落ちた懐剣を捉えた。絢は咄嗟に懐剣を拾うと、その切っ先を自らの喉に当てた。力を込めて一気に引こうとするのを、晴信が脇から有無を言わさず懐剣を奪う。
 晴信は絢から取り上げた懐剣をさっと自分の寝衣の懐に納めた。
「何をする、死んでどうなるというのだ」
 晴信が静かな声音で言った。
 絢は溢れる涙に懸命に耐えた。
「これ以上生き恥をさらしとうはない。もし、あなたに情けがあるなら、このまま死なせて」
 言い終わらぬ中に、大粒の涙がポトリと音を立てて畳に落ちた。
「そんなに私が憎いか、そなたの恋しい男を殺した私が憎いか?」
 晴信の問いに、絢は晴信を敵意のこもった眼で見つめた。忘れようとしても、けして忘れることのないあの夜。優しかった良人を奪われた夜。血まみれになって事切れていった太吉の無残な死に様は忘れようとしても忘れられるものではない。
「お前は鬼じゃ。人の顔をした怖ろしき鬼よ。鬼なぞこの世からいなくなってしまった方が良い」
 絢は晴信に向かって叫んだ。この男を殺しても、太吉はもう二度と帰らない。この男をなじっても、あの春の陽だまりのような笑顔は二度と見られない。太吉に力強い腕で抱きしめられることは未来永劫ないのだ。
 それでも、絢は言葉のつぶてを晴信にぶつけずにはいられなかった。
 しばらくの静寂があった。長い、永遠に続くように思える一瞬だった。晴信が動いた。
立ち上がり、絢に向かって歩いてくる。
 絢は眼を瞑った。今度こそ自分は殺されるに違いない。これで良い、これで良いのだ。

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