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花鬼(はなおに)~風の墓標~

第5章 【花闇(はなやみ)―対決の瞬間(とき)―】

 閉じた眼裏に浮かぶのは、反発しながらも、ずっと愛されたいと切望した父親の面影か、父に遠慮していたという母親だったのか―。
 歌い終えた時、晴信はまだ瞼を閉じたままであったがその頬には幾筋もの涙の跡が見えた。
 絢は茫然と晴信の端整な顔を見つめていた。今、絢の歌う子守唄を聴いて、晴信が泣いていた! 絢を狩りの獲物のように扱い、強引に側妾にした鬼のような男が泣いていた。太吉に平然と刃を振り下ろした男が―!!
「私はそちになら、この生命をくれてやっても良いと思うている」
 晴信は懐から懐剣を取り出した。絢から奪ったあの母の形見の懐剣だ。
 その懐剣を晴信が絢に差し出す。
「さあ、殺せ。それがそなたの望みなのであろう」
 その切っ先は晴信自身の方へと向けられている。絢がその気になれば、晴信を誅することは可能であった。
―さあ、絢。その懐剣を取るのよ。そして、眼の前のこの男をひと思いに殺せば良い。
 これほどの好機はなかった。良人を殺し、絢の身体を欲しいままに蹂躙した憎い男にこれで復讐が果たせる。
 絢は捧げ持った懐剣に全身の神経と力を集めようとした。しかし、一向に力が入らない。
「どうしたのだ、早くその刃を私に突き立てるのだ」
 晴信の方が焦れて、立ち上がった。晴信自らが絢の手に自分の手を重ねた。
「さあ、殺れ」

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