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花鬼(はなおに)~風の墓標~

第7章 第二部・風花(かざばな)・紅葉

【紅葉の庭】

 紅い葉がひとひら、ひとひら風に乗って落ちてくる。熊(ゆう)は先刻からずっとその様を眺めている。ゆるりと視線をめぐらせば、重なり合った葉と葉のほんのわずかな透き間から透き通った秋の陽が差し込んでいた。小さな庭の紅葉は今が盛りで、眩しいほどの朱に染め上げられている。霜月も半ばに入り、ここ数日で急に空気が冷たさを増した。そのせいか、その色もいっそう鮮やかさを増した感がある。
 ひとたび樹を離れた紅葉は風に運ばれ、小さな池に落ちる。静かな水面に無数の紅葉が浮かぶ様は美しい布を飾る模様のようだ。
 この見事に染め上がった紅一面の光景は、いつまで見ていても飽きることがない。最近、熊はここに座って庭を眺めていることが日課となった。ここは熊のお気に入りの場所である。ここにいる限り、誰も熊だけの時間を邪魔することはない。もっとも、敵国の娘といえども、熊のような十五の娘に何ができるはずもない。だからこそ、武田信虎は人質の熊の身柄を居館ではなく重臣の仁科靖政の屋敷に預けたのだ。熊のような少女にだとて、それくらいのことは判る。
 ここは甲斐の国、国主の武田信虎の重臣仁科靖政の屋敷である。熊は隣国玄武の領主藤堂高影(たかかげ)の家臣高橋国親(くにちか)の娘であった。
 熊の脳裡に二年前のあの日が蘇る。その日、熊は唐突に父の居間に呼ばれた。父がいかにも言いにくそうに言った言葉は十三の熊の想像をはるかに超えるものであった。
―熊、済まぬが、甲斐に行って貰えぬか。
 大きな瞳を見開いて父を見つめる娘に、高影はその顔を苦渋の色に染めて言った。
―そなたに人質として甲斐の国主武田信虎の許に行って欲しいのだ。

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