花鬼(はなおに)~風の墓標~
第7章 第二部・風花(かざばな)・紅葉
熊が思い起こしていたのは、その日の父とのやり取りであった。あのときの父の辛そうな表情を思い返す度、熊の小さな心は張り裂けそうになる。父のあんな哀しげな顔を見れば、熊には到底甲斐に行きたくはないとは言えなかった。武門に生まれた娘ならば、皆、自らの生命を賭して他家に赴かねばならぬときがある。たとえそれが嫁ぐという形であっても、人質という形であっても、自国の命運をそのか細い肩に担うことに変わりはない。
熊も物心ついた時分から、いずれはそのようなこともあると母や祖母から教えられてきた。だから、哀しみはあったけれど、ついにその瞬間が来たのだ―と子ども心にも覚悟を決めた。
こうして、人質役として熊に白羽の矢が立った。熊は領主の藤堂高影にお目見えの上、務めに励むようにと直接にお言葉を賜り、その養女としての格式で甲斐へと赴いた。甲斐へと旅立つ日、母は熊を抱きしめて泣いた。まだ幼い妹弟は母の側に立っていた。八つの弟は既に姉が敵国へやられるのだと理解しており、歯を食いしばって泣くまいと耐えていた。四つと三つの妹たちはまだ事態を理解することはできず、にこにこと愛らしい笑顔を振りまいていた。父国親は流石に己れの感情を表に出すことはなかったが、その眼はうっすらと赤らんでいた。
―達者で暮らすのだぞ。
父が熊に向けた餞の言葉であった。
熊も物心ついた時分から、いずれはそのようなこともあると母や祖母から教えられてきた。だから、哀しみはあったけれど、ついにその瞬間が来たのだ―と子ども心にも覚悟を決めた。
こうして、人質役として熊に白羽の矢が立った。熊は領主の藤堂高影にお目見えの上、務めに励むようにと直接にお言葉を賜り、その養女としての格式で甲斐へと赴いた。甲斐へと旅立つ日、母は熊を抱きしめて泣いた。まだ幼い妹弟は母の側に立っていた。八つの弟は既に姉が敵国へやられるのだと理解しており、歯を食いしばって泣くまいと耐えていた。四つと三つの妹たちはまだ事態を理解することはできず、にこにこと愛らしい笑顔を振りまいていた。父国親は流石に己れの感情を表に出すことはなかったが、その眼はうっすらと赤らんでいた。
―達者で暮らすのだぞ。
父が熊に向けた餞の言葉であった。