花鬼(はなおに)~風の墓標~
第7章 第二部・風花(かざばな)・紅葉
熊は右手で懐をそっと押さえた。周囲に人気がないのを改めて確認した上で、懐から懐剣を取り出す。これは熊が玄武を発つ前の晩、母より贈られたものである。
―これは私が京より嫁いできた際、守り刀として母君から頂いたものです。
母の富子は元々は京の生まれであった。藤堂高影の正室嘉子(よしこ)が京の中納言家の姫君で、登美子は嘉子に仕えていた侍女であった。嘉子が玄武に入輿するのに際して、共に玄武へと下ってきたのだ。そして、高影のお声掛かりで重臣の高橋国親と結婚した。富子もまた地下ではあるが、れきとした公家の家の娘であった。富子は常にそのことを誇りにしていた。
富子から譲られた懐剣は、いかにも女性が持つにふさわしき繊細な作りであった。朱塗りの鞘には椿の絵が蒔絵で施されており、なかなかの逸品であることが熊にも判った。
富子は何もそれ以上は言わなかったけれど、その眼は語っていた。
―もしものときは、この懐剣を使うのですよ。そなたは京の公家の血と代々玄武の領主藤堂家にお仕えしてきた由緒ある高橋家の血の流れを汲む娘。もし万が一、辱めを受けるような窮地に陥ったときは、迷うことなくこの剣をお使いなさい。
つまり生き恥をさらして生き長らえるよりは潔く死を選べと母は言いたかったのである。熊は母から懐剣を譲られただけで、母の伝えたいことすべてを理解し得た。
もちろん、熊も武門の娘であれば、それだけの覚悟は持っているつもりだった。玄武を発つときからずっと懐に忍ばせている懐剣は、そんな熊の決意を何よりも表している。
―これは私が京より嫁いできた際、守り刀として母君から頂いたものです。
母の富子は元々は京の生まれであった。藤堂高影の正室嘉子(よしこ)が京の中納言家の姫君で、登美子は嘉子に仕えていた侍女であった。嘉子が玄武に入輿するのに際して、共に玄武へと下ってきたのだ。そして、高影のお声掛かりで重臣の高橋国親と結婚した。富子もまた地下ではあるが、れきとした公家の家の娘であった。富子は常にそのことを誇りにしていた。
富子から譲られた懐剣は、いかにも女性が持つにふさわしき繊細な作りであった。朱塗りの鞘には椿の絵が蒔絵で施されており、なかなかの逸品であることが熊にも判った。
富子は何もそれ以上は言わなかったけれど、その眼は語っていた。
―もしものときは、この懐剣を使うのですよ。そなたは京の公家の血と代々玄武の領主藤堂家にお仕えしてきた由緒ある高橋家の血の流れを汲む娘。もし万が一、辱めを受けるような窮地に陥ったときは、迷うことなくこの剣をお使いなさい。
つまり生き恥をさらして生き長らえるよりは潔く死を選べと母は言いたかったのである。熊は母から懐剣を譲られただけで、母の伝えたいことすべてを理解し得た。
もちろん、熊も武門の娘であれば、それだけの覚悟は持っているつもりだった。玄武を発つときからずっと懐に忍ばせている懐剣は、そんな熊の決意を何よりも表している。