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花鬼(はなおに)~風の墓標~

第3章 【邂逅―めぐり逢いの悲劇―】

 村から更に少し離れた場所に町があった。この町はこの国の国主である武田氏の当主が住まう館を中心にひらけた城下町であり、様々な店が軒を連らね大勢の人々で賑わっている。町に出るときには卯平はたまには太吉を伴った。ある日、卯平に伴われて町へと出かけた太吉が夕刻戻ってきた。太吉が恥ずかしげに絢に差し出したのは花の絵がついた櫛であった。朱塗りの小さな櫛に椿の絵が描かれている。けして高価なものではなかったが、太吉が初めてくれた土産であった。それは太吉が自分で仕留めた鹿を売り、得た金で買ったものだったのである。
 その瞬間から、それまで「弟」でしかなかった太吉の存在が少し変わった。かといって、では彼が絢にとって何なのかと訊かれても判らなかったけれど―。
 それから数年後、卯平が猪に襲われるという不幸が見舞った。気の荒い猪に牙で突かれ、脇腹に大怪我を負った。朝方猟に出かけたはずの父が脇腹を朱に染めて家に戻ってきたときの愕きは言葉にならなかった。その日に限って、太吉は卯平についてゆかず、家にいた。その頃には毎日のように太吉は卯平と共に猟に出ていたのだ。昼からは仕留めた獲物を町に売りにゆく手筈になっていた。
 家に入ってくるなり、倒れ込んだ卯平を抱え起こし、絢は悲鳴を上げた。狂ったように太吉を呼び、ただ事ならぬ様子に奧から出てきた太吉も卯平の惨状を見て色を失った。
 村には医者はいない。とりあえず傷口を洗って消毒をし薬草を塗るくらいしか手当のすべはなかった。太吉も絢も卯平の傷が深く内臓に達していることは判った。二人の必死の看病も空しく卯平は二日後に眠るように息を引き取った。さほど苦しまずに逝ったのがせめてもの救いであったといえよう。熱が高く意識が朦朧としていたのが、かえって痛みを感じさせなかったのだ。

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