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花鬼(はなおに)~風の墓標~

第8章 【浮寝鳥(うきねどり)】

「いいえ、あれからいかがなさったのかと案じておりました」
 熊が首を振ると、伝次郎は蒼く腫れ上がった眼もとを指した。
「お陰様にて、他の場所の打ち身は既に引き申したが、ここだけがまだこのような案配にごさる」
 それでなくとも、いかつい顔がそのアザのために余計に滑稽にも怖ろしげにも見える。
 だが、伝次郎は屈託なく笑っていた。
「このせいで、ただでさえ女性に見向きもされぬ面体が余計に怖がられるようになりました」
 と、これは冗談半分、本気半分で恨めしげに言うのに、熊は久しぶりに声を立てて笑った。何故か、この伝次郎といると、心が軽やかになるような気がした。本人の言うように、けして男前でもないが、一緒にいるだけで守られているような安心感を感じる。
 夕刻のこととて、蜜色の陽差しが池の水を染めていた。伝次郎は寄り添う水鳥たちを眼を細めて見つめている。
「幼くして国許の父君母君のおん許を離れられての甲斐での暮らしはお辛うござりましょうな」
 伝次郎の言葉には心からの労りが込められていた。熊はふいに抑えていた涙がとめどもなく溢れるのを感じた。

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